ブレアーアソールBlair Athol)とはイギリスの競走馬及び種牡馬である。
1864年のダービーステークス及びセントレジャーステークスに優勝し、クラシック二冠馬に輝いた。
種牡馬としても、1872年、1873年、1875年及び1877年の英愛リーディングサイアーに輝いた。

経歴

出自

父はストックウェル(Stockwell)は、1852年のクラシック二冠馬で、種牡馬としても7度のリーディングサイアーに輝き、「種牡馬の皇帝」と呼ばれた馬である。
母Blink Bonnyは1857年のオークスとダービーステークスに優勝し、引退後はオークス3着馬Borealis(セントレジャーステークス優勝馬バヤルド及びダービー馬レンバーグの5代母)、本馬ブレアーアソール、アスコットゴールドカップ3着馬Breadalbaneの母となった。
ブレアーアソールは母と同じようにウィリアム・イアンソンによって生産、所有、調教された。

競走馬時代

ブレアーアソールは成長がゆっくりとした馬であり2歳戦には出走しなかったが、調教では有望な動きを見せており、馬主であるイアンソンはブックメーカーのジョン・ジャクソンからの7,000ポンド(当時はダービーの1着賞金が6,675ポンドであった。)のオファーを断るほどであった。周囲の評価も高く、登録のみで出走経験のないこの馬をダービーでのダークホースとする者もいた。
3歳の春になっても歯の問題から飼い食いが悪くディーステークスを回避したブレアーアソールであったが、なんとかダービー本馬で競走馬デビューを果たすことになった。 ダービーでは、8度のスタートやり直しでレースが遅れる中、ブレアーアソールは序盤後方に位置取ると最終コーナーまで我慢をして、2000ギニー優勝馬General Peelが勝ったかと思われたところ、 ラスト1ハロンで捉えて優勝した。また、その勝時計2:43.6は当時のレコードタイムであった。
ダービー優勝後、ブレアーアソールはすぐに渡仏して、当時最も価値のあるレースであったパリ大賞に挑んだ。悪天候により輸送が遅れるハプニングがあり、レース前夜に競馬場に到着すると、フランス皇帝も観戦する中、最後方から追い込むも勝ったVermoutに2馬身及ばず、英仏対決に沸いたフランスの群衆を喜ばせることとなった。
帰国するとロイヤルアスコットの1マイルのトライエニナルステークス(現在のG3ジャージーステークス)、7月にはグッドウッドのステークス、単走となったゼットランドプレートを3連勝したが、8月のグレートヨークシャーステークスでは体調不良のせいかザマイナーという馬に敗れた。
迎えた9月のセントレジャーステークスではひどい雨のなかいつも通り直線で追い出されると、地元ヨークシャーの観衆が見守るなかいとも簡単にGeneral Peelに2馬身差を付けて優勝した。

種牡馬時代

ブレアーアソールは種牡馬としても成功し、Silvio、Prince Charlie、Craig Millar、Cecilia及びScottish Queenのクラシックウィナーを輩出して、1872年、1873年、1875年及び1877年の4度英愛リーディングサイアーに輝き、1878年には200ギニーに上がった種付料に対してボイコットが起こるほどであった。

血統表


外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ

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