仁馬山古墳(じんばやまこふん/じんまやまこふん)は、山口県下関市延行にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
長門地方(山口県西部)では最大、山口県では第3位の規模の古墳で、4世紀後半(古墳時代前期)の築造と推定される。
概要
山口県西端、綾羅木(あやらぎ)平野を望む台地東端の斜面に築かれた古墳である。2005-2008年(平成17-20年)に4次の発掘調査が実施されている。
墳形は前方部が未発達で古い様相の前方後円形で、前方部を西北西方に向ける。墳丘は後円部のみ3段築成で、全体的に極めて良好に遺存する。墳丘長は約75メートルを測り、長門地方(山口県西部)では最大、山口県では第3位の規模になる。墳丘外表からは埴輪片が検出されており、部分的に円筒埴輪列が存在したと推定される。埋葬施設は粘土槨で、ほぼ完存する。粘土槨内部には割竹形木棺が認められているが、これは直径約1メートル・長さ約6メートルを測る長大なものになる。そのほかに古墳の周囲では、陪塚と見られる小円墳2基(仁馬山北墳・仁馬山南墳)が認められている。
この仁馬山古墳は、古墳時代前期の4世紀後半頃の築造と推定される。若宮古墳(綾羅木郷遺跡内)など一帯に分布する多くの古墳の中では、最も古い時期の築造に位置づけられる。被葬者は明らかでないが、山口県西部を治めたとされる穴門国造一族に比定する説がある。
古墳域は1991年(平成3年)に国の史跡に指定されている。
遺跡歴
- 1902年(明治35年)、古墳の所在報告(鍵谷徳三郎により「延行の瓢形墳」と紹介)。
- 1973年(昭和48年)、実測調査。
- 1991年(平成3年)5月15日、国の史跡に指定。
- 2005-2008年(平成17-20年)、4次の発掘調査。
墳丘
墳丘の規模は次の通り。
- 墳丘長:約75メートル
- 後円部 直径:約47メートル
前方部幅はほぼ後円部直径の2分の1を測る。
陪塚
古墳周辺では、北側・南側に次の各1基の陪塚(陪冢)の築造が認められる。
- 仁馬山北墳 - 円墳。畑地の開墾の際の削り残しとする説もある。
- 仁馬山南墳 - 円墳。
文化財
国の史跡
- 仁馬山古墳 - 北東約70メートルの植松古墳(下関市有冨、長門地方では唯一の方墳)の古墳域を含む。1991年(平成3年)5月15日指定。
脚注
注釈
出典
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(山口県教育委員会・下関市教育委員会設置)
- 地方自治体発行
- 「仁馬山古墳」『山口県史 資料編 考古1』山口県、2000年。
- その他
- 「仁馬山古墳」『日本歴史地名大系 36 山口県の地名』平凡社、1980年。ISBN 4582490360。
- 大塚初重「仁馬山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「仁馬山古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『史跡仁馬山古墳 -山口県下関市大字延行字神間ほか地内 史跡仁馬山古墳発掘調査報告書-(下関市文化財調査報告書 28)』下関市教育委員会、2010年。
関連項目
- 穴門国造
外部リンク
- 仁馬山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 仁馬山古墳 - 山口県ホームページ「山口県の文化財」



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