ポリドール・レコード (Polydor Records) は、イギリスに本部を置く、レコード会社、レコード・レーベル。ドイツ・グラモフォンが設立した。ポリドール・アメリカは、欧州の複合企業であるフィリップス=シーメンスの在米子会社で、のちにマーキュリー・レコードとともにポリグラム傘下となった。現在は、本社をアメリカ合衆国に置くユニバーサル ミュージック グループ傘下のレーベルである。

ポリドール本社の歴史

ポリドールの歴史は非常に長く、戦前の1910年代にルーツがある。戦後はポップ音楽やクラシック音楽のレーベルとなり、指揮者ベルト・ケンプフェルトがビートルズを発見し、最初の録音「マイ・ボニー」はポリドールで録音されている。ポルドールがアメリカ支社を設置した時期は案外遅く、1969年になってからである。1970年代には、ビージーズと契約した。

  • 沿革
  • 1924年 - ドイツ・グラモフォン (DGG Deutsche Grammophon Gesellschaft) の独立分社として設立。当時はダブルホーン型蓄音機を擬人化したマークを使っていた。
  • 1946年 - DGGがクラシックに特化したレーベルになり、ポリドールがポピュラー音楽へ進出した。
  • 1962年 - フィリップス・レコード(フォノグラム)の親会社・フィリップスとDGGの親会社・シーメンスが、お互いの音楽子会社に相互出資して、「グラモフォン・フィリップスグループ (GPG) を結成」。
  • 1971年 - ジェームス・ブラウンがUSキング・レコードを離れ、ポリドールと契約した。
  • 1972年 - DGGとフォノグラムが経営統合し、「ポリグラムの傘下に入った」。
  • 1998年 - シーグラムがポリグラムを買収、シーグラムの所有するユニバーサル ミュージックと合併したことにより、ポリドールはこの同社のレーベルとなった。

ポリドールのアーティスト

過去に所属したアーティストを含む

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日本のポリドール

社史に、日本ポリドール、大東亞蓄音器、日本グラモフォン、ポリドール株式会社、ポリグラム株式会社、ユニバーサルミュージック株式会社、ユニバーサルミュージック合同会社、と社名変更の歴史も刻まれる。

沿革

株式會社日本ポリドール蓄音器商會

  • 1926年、当時ドイツ・グラモフォン社(ポリドールレコード)の国内での輸入元を務めていた阿南商會の阿南茂が、松本荘之助・鈴木幾三郎(銀座十字屋)・技師の塩崎仲吉とともにドイツに渡り、同社と折衝の結果、日本国内におけるレコードの製造許可を取得する。
  • 1927年5月30日、阿南正茂が『株式會社日本ポリドール蓄音器商會』を設立、ポリドール・レコードの国内での販売を開始する。
  • 1942年3月、戦時中の外国語使用禁止の風潮を先取りし、社名を『大東亞蓄音器株式會社』に変更。ブランド名については、邦楽部門を大東亜レコードに変更したものの、洋楽部門は引き続きポリドール・レコードを使用した。
  • 1943年12月、社名を大東亞航空工業株式會社に変更する(時期は諸説あり)。
  • 1944年1月新譜(1943年12月20日発売)を最後に商業レコードの新譜発売を中止する。同月の月報は国立国会図書館音楽・映像資料室で閲覧可能で、従来の新譜中止月の誤りを確認出来る。のちに政府の依頼で大東亜会議の模様を記録した組物 (P-5375 - 5445) を製作し、東京都と連携した盤 (P-5446) も存在し、最終的な生産終了時期は不明である。
  • 1945年4月13日、空襲で表参道の吹込所(東京都赤坂区青山北町6丁目)を焼失。同月15日、空襲にて池上の本社・工場(東京都大森区堤方町215番地)が類焼(全焼では無く、原盤は被害を受けなかった)。
  • 同年6月21日、福島県桑折に工場を新設し、疎開。
  • 戦後の1946年11月25日、日本コロムビアのスタジオにて、戦後初めての新録音を開始(1947年説は事実誤認)。
  • 1949年3月20日、表参道の吹込所が復旧。
  • 1950年4月、『ポリドール蓄音器株式会社』に社名変更。
  • 1950年11月24日、桑折工場を失火で焼失、被害額2000万円との新聞報道。
  • 1952年10月、桑折工場が復旧し、新譜の発売を再開。

日本ポリドール株式会社 → 日本グラモフォン株式会社 → ポリドール株式会社

  • 1953年4月1日、新資本による日本ポリドール株式会社が設立される(東京都港区赤坂青山北町)。富士電機が株式の一部を取得し、古河グループの企業となる。
  • 同年11月20日、12月新譜を新会社の第1回発売分とする。
  • 1956年、『日本グラモフォン』Nippon Grammophone Co., Ltd. に改組。
  • 1959年、ステレオ・レコードの発売開始。第1号はロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルによる、ベートーヴェン作曲交響曲第5番「運命」(SLGM-1)。
  • 1969年、目黒区大橋に自社ビルが完成。
  • 1971年11月、ポリグラム傘下の『ポリドール株式会社』(Polydor K.K.、以下ポリドールK.K.)に社名変更。
  • 1982年10月21日、当時の西独ポリグラムから輸入したコンパクト・ディスク・ソフトの発売を開始する。
  • 1984年、富士電機との資本提携を解消。第一勧銀グループや古河グループの系列から脱退している。業績不振のロンドンレコードを吸収合併。

ポリグラム株式会社 → ユニバーサルミュージック株式会社 → ユニバーサルミュージック合同会社

  • 1993年12月1日、ポリドールK.K.の販売部門と販売元が、『ポリグラム株式会社』(以下、ポリグラムK.K.、現:ユニバーサルミュージック合同会社)に移管される。
  • 1998年、シーグラムがポリグラムを買収し、ユニバーサルミュージックが発足。
  • 1999年7月1日、ポリグラムK.K.が、『ユニバーサルミュージック株式会社』(以下、ユニバーサルミュージックK.K.)へ社名変更。ポリドールK.K.は制作会社として存続し、その後、2001年7月1日に、邦楽アーティストが用いていた「ポリドール・レコード」レーベルは、ユニバーサルビクターと統合し、「ユニバーサルポリドール」として一新した。「Polydor」のシンボルマークは継続使用された。
  • 2002年、ユニバーサル ミュージックK.K.がポリドールK.K.を吸収合併。「ユニバーサルポリドール」レーベルは同社の社内カンパニーのユニバーサルJに移行。大半のアーティストは、同じく同社の社内カンパニーのNAYUTAWAVE RECORDSレーベル(→EMI RECORDSレーベル)へ移管した。
  • 2009年、ユニバーサル ミュージックK.K.が組織変更され、法人名が『ユニバーサルミュージック合同会社』(以下、ユニバーサルミュージックLLC)に社名変更。
  • 2023年、ユニバーサルミュージックグループの組織改編によりユニバーサルJから「UJ」と分割する形で「Polydor Records」が復活となった事により、日本でのポリドールが約20年7ヶ月ぶりにレーベルとして復活した。

ポリドール映像販売

ポリドール映像販売は、ポリドールK.K.、および現在のユニバーサルミュージックLLCによるミュージックビデオ以外の映像ソフトの企画・発売部門。ユニバーサルミュージックに移行後も現存している。→ユニバーサルミュージック (日本)#ポリドール映像販売会社参照。

NHKレコード(ポリドールが委託され販売を担当)

NHKレコード(エヌエイチケイ- )は、日本放送協会 (NHK) のテレビ番組のテーマソングや大河ドラマのテーマ曲、『みんなのうた』の楽曲、NHK交響楽団の演奏曲などをNHK独自のレーベルでNHKサービスセンターが企画・制作、ポリドールが委託を受けて販売したレコードのレーベル名。

主な所属アーティスト

☆印はユニバーサルミュージック内のNAYUTAWAVE RECORDSEMI RECORDSからリリースされた作品がある者、★印はユニバーサルミュージック内のユニバーサルJポリドール・レコードからリリースされた作品がある者。特に注釈の無いアーティストについても、他レーベルに在籍歴の可能性がある。

現在の所属アーティスト

過去に所属した主なアーティスト(ユニバーサルポリドール時代以前)

脚注

関連項目

  • マーキュリー・レコード
  • ポリグラム
  • 筒美京平 - 作曲家になる以前は旧日本グラモフォンに(洋楽部門のディレクターとして)約4年間勤務。
  • ユニバーサル ミュージック グループ

外部リンク

  • ユニバーサル ミュージック グループ
  • ユニバーサル ミュージックジャパン公式サイト - UNIVERSAL MUSIC JAPAN

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日本ポリドール

レコード(昭和12年) ポリドールのレコード盤 ジャパンアーカイブズ Japan Archives