伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ きょう)、1927年(昭和2年)2月22日 - 2021年 (令和3年) 7月25日 )は、日本の声楽家(オペラ・ソプラノ歌手)、音楽教育者。国立音楽大学名誉教授、静岡文化芸術大学客員教授。
略歴
静岡県掛川市出身。1943年(昭和18年)4月、東京音楽学校甲種師範科に入学。1947年(昭和22年)に同校を卒業した、研究科を修了。城多又兵衛、酒井弘、浅野千鶴子、田中伸枝、原信子、フェルディナント・グロスマン、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ等に師事。
1949年(昭和24年)第18回日本音楽コンクール声楽部門で第1位を獲得。1950年(昭和25年)東宝交響樂團ベートーヴェン『フィデリオ』(指揮:近衛秀麿)でオペラデビュー。以後、東京藝術大学、藤原歌劇團、長門美保歌劇團、二期會、日生劇場、東京オペラ協會、關西オペラグループ等の主催により、計八十余本にのぼるオペラに出演し、実力と人気を兼ね備えた、戦後の日本を代表するプリマドンナとして一世を風靡した。モーツァルトの諸役や日本の創作オペラで卓越した歌唱を聞かせたが、特に重要な持ち役としては、團伊玖磨『夕鶴』つうと、J.シュトラウス2世『こうもり』ロザリンデがあり、なかでも『夕鶴』のつうは当たり役で、1954年(昭和29年)の北京公演で絶賛されたほか、数多く演じている。また、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団をはじめ、多くのオーケストラと共演を行っている。
歌曲についても造詣が深く、とりわけ日本歌曲のコンサート・レコーディングでは目覚ましい活躍をしている。
後進の育成にも力を注ぎ、国立音楽大学教授、名古屋音楽大学教授、沖縄県立芸術大学教授、相愛大学(相愛女子大学)講師を務め、増田いずみ、永井和子、佐藤ひさら、本島阿佐子等の優秀な門下生を数多く育てた。
2021年7月25日、老衰の為に死去。94歳没。
受賞・栄典
- 1964年 第5回毎日芸術賞 ヴェルディ生誕150年記念公演 歌劇『椿姫』1963年7月 東京文化会館 上演関係者(ヴィオレッタ・ヴァレリー役)
- 1969年 第19回芸術選奨文部大臣賞 團伊玖磨歌曲演奏会 1968年12月
- 1971年 第12回毎日芸術賞 プーランクのモノ・オペラ『声』の歌唱 1970年5月 第一生命ホール
- 1988年 紫綬褒章
- 1988年12月31日 第39回NHK紅白歌合戦において審査員を務める
- 1989年 昭和63年度(第45回)日本芸術院賞
- 1995年 日本芸術院会員
- 1997年 勲三等瑞宝章
- 1999年 第52回中日文化賞
主な録音
2001年12月19日、ビクターより本人選曲で初のベストアルバム『MY FAVORITE SONGS』がリリースされた。その他にも、オペラ『夕鶴』(全曲)をはじめとして、オムニバス版を含め、過去の録音が大量に存在する。
楽界への貢献
- 公益社団法人日本演奏連盟理事長(1996年 - 2015年)。現在は理事(非常勤)
- 日本音楽コンクール顧問。
- 二期会名誉会員
- 静岡国際オペラコンクール審査委員長(第1回(1996年) - 第6回(2011年))
脚注
参考文献
- 「伊藤 京子」『音楽年鑑 昭和45年版』音楽之友社、1970年、70頁。NDLJP:2526523。https://dl.ndl.go.jp/pid/2526523/1/127。
- 「伊藤京子」『デジタル版 日本人名大辞典 Plus』。https://kotobank.jp/word/伊藤京子。コトバンクより2023年8月8日閲覧。
関連項目
- 静岡県出身の人物一覧
外部リンク
- 米軍機の通り道の下で勤労動員 - 『あの日 昭和20年の記憶』放送日 2005年7月13日、NHKアーカイブス。昭和20年7月13日の出来事と新聞記事。伊藤京子の証言。




